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天才の飛翔
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先日ある画期的なクラシックのCDが発売になりました。
どういうCDかというと、
60年代に活躍したグレン・グールドというバッハの演奏を得意とした天才ピアニストのCDです。

僕はバッハが好きでよくこの人の演奏で聴くんですが、
とっても早くに亡くなった方なので今はもう新しい演奏を聴くことはできません。
それなのに今回発売されたCDは新録音ということで、今とても話題になってるCDなのです。

どういうことかというと、
グールドの初期の録音は当時の機材の影響でモノラルのものしか残ってなかったんですが、
それを高音質なステレオで再現しようということで、
アメリカの『ゼンフ』という録音データの解析ソフトを使って、
当時のモノラル録音の情報から、グールド本人が鍵盤を押したタイミングや強さ、
ペダルを踏み込んだ時間や加減をすべてデータ化して、
それをMIDIという演奏情報に変換して、MIDI装置を組み込んだ生のグランドピアノに自動演奏させて、
それを現在の最新録音機材でレコーディングしたものだそうです。


この録音がグールド本人の演奏と言えるのかどうかが巷の話題の焦点なんですが、
僕が思うに、これはバイオテクノロジーと同じでとても恐い技術だなあと思いました。
この技術は近い将来データの蓄積によって、例えばグールド本人が演奏したことのない曲でも
グールドのリズム感で、グールドのタイミングで、グールドの間の取り方で、
新しい曲が録音できるようになると思います。
もしそうなったら、一音楽ファン、グールドのファンとしてはうれしい限りなんですが、
若い演奏家にとっては、
それだけ自分の演奏を聴いてもらえるチャンスを逃すことになるのではないかと思ってそれを危惧して止みません。

それはスポーツで言ったら殿堂入りするような選手が、いつまでも永遠に現役でいるようなもので、
若い選手にとってはある意味悪夢のようなことだと思います。

僕も一応クリエイターの端くれとして、グラフィックデザイナーの端くれとして、
このことを考えると様々なことを思わざるをえません。
僕たちがまだ学校で勉強してる時代に、
『よいと思った印刷物のマージンや行間、テキストと画像の比率を実際に計って研究するように!』
と言われたことは、この過去の偉人の技を分析することに等しいと思います。
改めて考えれば、すでに昔から当たり前に取り組んできたことなのです。
それがコンピューターという箱を介することで思いもよらないレベルまで発展しつつあります。

グラフィックデザインに関しても、そのような情報を解析し再現するソフトウェアができれば、
いますでにある自動組版の仕組みと組み合わせて、
だれもが原研哉や田中一光のバランス感覚でレイアウトを再現できるようになるかもしれません。
そうなったときにグラフィックデザイナーは何を持って自分を立てればいいのか見当もつきません。

どんなコンピューターでもアイデアを生み出すことなんてありえないので、
その部分はデザイナーの聖域として残されるのでしょうが、
実際にレイアウトをしない、
手を動かさないデザイナーが考えたアイデアというのがどういったものになるのか、正直僕は不安です。

クオリティーの向上のために
グラフィックデザインとコンピューターが結びついてからもう何年になるのでしょう?
今では大量生産という命題のために、
どんどんコンピューターを使って自動化や効率化をすすめているこの社会。
その反面でとりかえしのつかないものを失っている面もあるのではないかなと思うニュースでした。


今日はちょっと恐いこんな漢字について…。

【幽】
『幺幺(ゆう)』と『火』を組み合わせた形。
『幺幺(ゆう)』は『幺(よう)』というねじった糸束を二つ並べた形。
それに火を加えて燻(くす)べて黒色にすることをいう。
その色は幽暗(奥深く暗いこと)であるから、幽微(奥深くかすかなこと。深遠で微妙なこと)の意味となる。
と白川先生は記しています。


最後に蛇足ですか、グールドは大変な変わり者で、晩年は生演奏を披露することを好まず、
もっぱらスタジオでの録音で、当時の機材でできる限りの実験的アプローチを試みたアーティストであったと知られています。
最新のコンピューター技術で自らの生演奏が現代に蘇っていることを、
グールド本人は幾分心よく思っているかもしれません。
天才は飛翔を恐れません。

僕は…。
by chii-take | 2007-03-24 03:56
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