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ずっと、ずっと在(いま)すが如く…
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白川先生の文字学には「神さま」がたくさん登場します。
その白川先生の引用を多用するこのブログでも、当然「神さま」という言葉は何度も使うことになるのですが、
実は僕は無神論者です。

白川先生の用いる「神さま」は、
おそらく古代中国の原始儒教において信仰の対象となった森羅万象に宿る精霊のようなものを指しています。
いわゆるアニミズムの世界であって、キリスト教やイスラム教的な絶対神のことを指しているわけではありません。簡単に言うと八百万の神さまのことです。
「神さま」というからどこか仰々しいのであって、単純に「心に感じられる大切なものすべて」を指していると考えてなんら問題ないと僕は思っています。

台所の火にも神さまは宿っているし、
海から吹く風にも神さまは宿ってる。
絵を描くとき、無心になってよい絵にしようとすることも神さまへの祈りだし、
大切な人と見つめ合うとき、この人が幸せであるようにと思うことも神さまへの祈りなんだと思う。
そういう表現しようのない神さまへの思いをカタチにしようとした人が、
きっと最初に漢字をデザインした人たちなんだと僕は思っています。
彼らは恐ろしく目がよくて、その思いが生活の中で表れるその瞬間を見事にスケッチし、
文字として描き出しました。
とても偉大な絵描きであったに違いないと僕は思っています。


僕は自分で無神論者と言っているくらいなので、実家は仏教徒ですが心から仏教を信仰しているわけではありません。
でも一つだけブッダにまつわる話でとても印象深く思っている話があります。

ある女性が幼子を死なせてしまい、悲しみに暮れるあまり、
子供を生き返らせる方法を求めて評判の宗教家ブッダの所に赴きます。
女性はブッダの足元に子供の亡骸を置くと、どうか生き返らせてくれと懇願したといいます。
するとブッダは「生き返らせてあげるから、まだ死人を出したことのない家から、ケシの種を一粒もらってきなさい」と言ったそうです。
女性は大喜びで町へ帰り、家々を回ったそうですが、どの家の人も残念そうに亡くなっている人があることを告げるので、
結局女性はケシの種を得ることは出来ませんでした。
そして彼女はブッダが意図したしたことを悟り、子供の死を受け入れ、子供の亡骸を墓地に葬ったといいます。


僕はこの話を聞いて、教えられたことと、納得のいかなかったこと、二つの気持ちを抱きました。

教えられたことは
「人の命が失われることはどうしようもないことで、
 本当に誰もがその哀しみを背負って生きているのだから、
 なぜ自分だけが? とは決して思ってはいけないということ。」


納得のいかなかったことは
「あきらめろ…。それで終わりか?」
ということでした。
ブッダはこの世の無常を説いて、それを悟ることで苦悩からの解脱に達することを説いた人です。
恐ろしく知恵の働く人で、その教えは僕にとってはトンチのようなものでした。
あいにく僕はあまり頭がよろしくなかったので、そのトンチにはついていくことができませんでした。

僕が知りたかったのはもっとシンプルに僕はどう思うべきかということであって、救われたいなどとは微塵も思っていなかったのです。
僕が救われたって死んだ人が救われるわけではないのだから。

白川先生の文字の成り立ちの研究から、僕は古代の人がどのように人の死と向き合ったかを知りました。
僕はそこにブッダが教えてくれなかったことを垣間みたのです。

【鬼】という文字は日本では「あかおに」とか「あおおに」のように、悪い妖怪のような使われ方をしますが、
中国では元々の意味である死者の霊(祖先の霊なども)のことを指します。
この文字の成り立ちは、ご先祖供養のお祭りのとき、
お面をかぶって先祖の霊そのものになりきっている一族の長の姿形を表しているといいます。

【郷】はそのようにして疑似的に迎えた先祖の霊と今生きている家族が共に酒を飲み、
同じ料理を口にする場面を描いた文字なのだそうです。分りやすく言うとお盆の風景ですね。
僕にとっての奈良のことを指す文字です。

このような一連の文字を辿っていくと、僕は論語の中で語られた孔子のこの言葉を思いだすのです。

『祭ること在(いま)すが如くし、
 神を祭ること神在(いま)すが如くする』
(神さまにお祈りするときは、神さまが目の前にいるように真心を持って祈りなさい。)


あきらめるのではない。あきらめる必要なんかない。
居なくなったことを知った上でなお、在(いま)すが如く、あの人のことを思うことが、
どれだけ前向きに優しく生きることになるのかを僕は知りました。


【死】
白川先生によれば、亡骸の前にひざまずく残された人の姿形を象った文字。

【久】
人の亡骸を後ろから木で支えている形。この形で死者は棺に収められるので「柩」という字が生まれた。
人の生はわずかの間だが、死後の世界は永遠であるという古代の人々の考えによって「永久」の意味に用いられたそうです。

ずっと、ずっと在(いま)すが如く…。
神さまになったあの人と…。
僕は之く。
by chii-take | 2007-04-22 05:11
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