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目にはみえないそれぞれの花。
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10代の多くの時間を僕は小説に没頭して過ごしました。
絵を描いているか、ご飯を食べているか、寝ているか、それ以外の時間は大概文庫本に視線を落としている少年でした。
物語が好きだったんです。

奈良に引越して通勤時間が増えたことで、また本を読む時間が飛躍的に増えました。
しばらくは新々の作家さんの本を読んでいたんですが、どうも馴染めない本が多く、
ひさしぶりに10代の頃に読んでいた本を手にとりました。

宮本輝
『葡萄と郷愁』


僕は10代の頃、本当に宮本さんの作品が大好きで、当時刊行されていた本はすべて読破するほどのファンでした。
『葡萄と郷愁』もその当時読んだ本の一冊。
東京とブダペストに住む、それぞれ何の関係もない二人の女性の人生の転機を、各章毎に舞台を移し、交互に描いた長編小説です。

読み進めていくと、ああ、この言葉は大事な言葉だなあと思える言葉で溢れていて、
僕は読み終わったらブログに書こうと、ひとつひとつに付箋をつけて読んでいたんですが、
読み終わってみるともう付箋だらけで、とてもここに引用しきれる文量ではなくなってしまいました。

それで気がついたんですが、
どうやら僕という人間の価値観を作り出していたものが、
そもそもこれらの宮本さんの作品群であったようなのです。
少し偏屈なところや、なんでも観念で決めつけるところなどそっくりで、そりゃ共感できる言葉で溢れていて当たり前だなとしみじみ思いました。

読みながら色々なことを考えました。
読んだ当時15かそこらの僕には作品に登場するほとんどの人物が年上なわけで、
経験のない社会での出来事を僕は知ったかぶって、分った気になって読んでいたこと。
実際に結婚して30近くなった今、作品に登場する同年代のキャラクターの心情を読むと、
当時分っていなかったことが、ありありと実感として理解でき、読んだ当時の自分の心のありようが滑稽にすら感じられました。

…ふむふむ、そうか! なんて馬鹿じゃねえか! と思ったわけです。
少年の僕には、登場人物がその生い立ちによって抱えた悲しみの半分も理解出来ていなかったし、
その物語の奇跡で語られた生きる歓びの半分も、僕は理解できていなかった。
そのことがこの歳にしてようやくわかったのです。
いや、たぶん今もまだ理解できていないことが多く残されているんだと、ようやく知ったのです。


でもそれと同時に15のときにこれを読んでよかったと思いました。
あのときこれを読んでいなければ、僕は今この小説に登場する人物のようなものの感じ方、考え方を永遠に知ることはなかったかも知れないと、そら恐ろしい気持ちにもなりました。
振り返ってみると、奈良引越しも、今僕が取り組もうとしていることも、すべて、この物語の中で語られた「僕が付箋を貼った大事な言葉たち」に起因していることなのです。

それを知って、僕はしばし呆然。少し気恥ずかしく。それでもそのことに喜び。そしてそれを僕に関わるみなさんに報告しなければと思いました。

下は本作の東京の物語の主人公、純子が、長くつき合った幼なじみの孝介に別れを告げるときの言葉です。

「どうして司法試験あきらめたの?高校時代からそのための猛勉強だったんでしょう?」
(中略)
「弟が死んだからさ。いまさら訊かなくたって知ってるだろう」
「私、夢を捨てる人、嫌いなの」


それを聞いた孝介はこう反論します。

「俺が夢を捨てなかったら、いなかのお袋や、弟や妹はどうなるんだい。夢を捨てなかったために、自分だけじゃなく。まわりの人間まで地獄に落としたってやつは、いっぱいいるんだぜ」
「でも、私、あきらめてほしくなかったの」
「まるでいいがかりだよ」


僕はこのくだりに代表されるような、宮本さんの物語に登場する女性キャラクターの頑是無い物言いが大好きでした。
ああ、人が人を好きになるというのは、理屈ではないのだと…、同じように心が離れるときも…。
だから自分は一度心に描いたものは決して変えないでいよう。それを家族や周りの人がどう思うかはわからないけれど、自分の内側の大事なものを失うと、同時に自分の外側の大事なものも失うに違いない。
それはなんとも意味のないことだから、僕は変えないでいよう。何ものにも損なわせない夢を持とう。
そう思ったのです。

僕の最初の夢は、「もの表現する人間になろう。それで誰かの役に立とう。それでご飯を食べよう」。
もちろん今も変わらずそう思っています。だからこれだけは絶対に誰にも奪わせない。
(そして今はその夢にもう少し具体的な方向性を与えました。そのために奈良に来たんです。でもそれはまた別の機会に…)

僕は宮本さんの物語からそのような価値観を植え付けられました。
おかげで随分周りにはわがままな人間だと思われているような気がします。ヨメにも苦労をかけて申し訳ないと思っています。なんだか本末転倒な気もしますが、それが結局僕たちの幸せに繋がるのだと。それが僕の信念なんです。
ただ思うことと、実際に行うことの違いはそれはもうすごいもので、僕は日々身体を裂かれそうな思いです。
そんなとき、純子の

「でも、私、あきらめてほしくなかったの」

この言葉が頭をよぎるようになりました。
思えば宮本さんの作品は幸せになろうと思う人への応援のメッセージが強く込められているような気がします。それもこの歳になって人生の岐路に立ってみて始めて聞こえてきた作者の声のような気がします。

付箋を貼った場所はあまりにも多過ぎてすべては紹介しきれません。

でもあと数カ所、書かせて下さい。


純子は上記のやりとりのあと、孝介に「夢って何だい?」と問われてこう答えます。

「私の?」
「いや、人間のさ」
「その人だけの花を咲かせるために走りつづけることだと思ってるの」





もう一カ所は、純子の物語と並列で描かれた、ハンガリーのブダペストに住む、アーギという女性が主人公の物語から。
この話の終盤、アーギの恋人ジョルトの元に念願の夢の仕事の話が届きます。
そのことを共に喜ぶ二人の会話です。

「けさ。家を出るとき、電話がかかったんだ」
「すごい! 編集の仕事、やりたかったんでしょう?」
「ハンガリーの文化の仕事さ。(中略)優雅と情熱。これが俺たちマジャール民族の文化だろう? だけど俺たちは、希望と忍耐に、自分たちの特質を利用しなかった。情熱を秘めた希望と優雅な忍耐…。これが、俺たちは使えない。使えなかったのさ。それどころか優雅と情熱が絶えずバラバラになってた」
ジョルトはやっと笑みを取り戻し、首を振りながら溜め息をつくと、
「うーん、自分でも何を言ってるのかわからなくなったよ」
と言った。
「正式に就職出来たらいいわね」
アーギは言った。ジョルトは肩をすくめた。
「優雅と情熱。この言葉をアーギに捧げるよ」



アーギと純子。僕はこの小説のけして交わることのない二人の女性の物語に多大な影響を受けていたことを知りました。
どこかで繋がっている二人の運命に、不思議と言い知れぬ感動を感じたことを覚えています。
今ならはっきりと生きるということはそういうものなんだとわかるのです。ようやくこの物語から聞こえてくる人生の歓びを受け取ることができたようで、ただひたすら今はそれが嬉しかったりもします。
歳をとるのも悪くないものです。(と言ってもまだ30前ですが…)



最後にこの小説中盤に登場する印象的なキャラクターが純子に言った台詞を引用します。


「目にみえないものが、いっぱいあるんだ。迷うな、迷うな。必然だよ」

「猿が進化して人間になったなんて言うやつは馬鹿さ。鳥は飛びたいと念じたから羽根がはえたんじゃない。鳥ははじめから鳥だったんだ。純子は自分の道がどこかで見えたんだよ。(中略)心の奥の奥の、もっと奥にある目が、道を教えたんだ、純子にね」



僕はいつまでこの道を失わずにいられるのだろう?
奈良に引っ越してそろそろ4ヶ月を迎えようとしています。
by chii-take | 2007-07-16 04:40
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