ふさわしい自分で
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ここのところ心が揺れています。

大方8年努めた会社を退職する日が目前にあるからなのか、
奈良で迎える始めての冬がそんな気持ちにさせるのか…。

なかなかやるべきことに集中できません。

先日思わず衝動買いしてしまった『文藝春秋1月号』に、
「世紀のラブレター50通」という特集が載っていました。
衝動買いしてしまったのは、その中に尊敬する白川静先生のラブレターが載っているというからなのです。

てっきり先生の若かりしころの甘い文章でも載ってるのかと思ったのですが、
期待に反して、先生の晩年の和歌が収録されていました。
けして期待していたような、(まさに恋文といえるような)すがすがしくほろ苦い思いの綴られたものではありませんでしたが、先に旅立たれた奥様への静謐な思いが綴られた和歌の数々に、僕は深く心を打たれました。
何より、その70首にも及ぶという挽歌の多さに先生の深い想いを知らされたのです。

記事には、先生の言葉として、
それらの歌は「臨終のときに傍にいて、思わず口ずさむように出た数首につづけて、しばらく歌日記のようなつもりで記しておいたもの…」であるという記述がありました。

感情が動いたときに、それが表現に直結する人…。
学者然としたイメージが強かったけれど、先生はやはり感性の人だったのだなあと知らされました。

下はその中の一首。

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立ち去らば千代に別るる心地してこの室中(へやぬち)を出でがてにすも
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臨終の病室を立ち去りかねる先生の心情が詠まれています。


文藝春秋の特集には、先生の他にも多くの文人の恋文が記載されていました。
その中に、もうひとり僕の心を強く揺さぶった人の言葉があります。

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自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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と詠った詩「自分の感受性くらい」で有名な茨木のり子の、
こちらも亡き夫に宛てた詩「パンツ一枚で」という作品です。

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パンツ一枚で
うろうろしたって
品のあるひとはいるもので
暮らしを共にした果てに
相棒にそう思わせるのは
至難のわざでありましょうに
らくらくとあなたはそれをやってのけた
肩ひじ張らず ごく自然に

ふさわしい者でありたいと
おもいつづけてきましたが
追いつけぬままに逝かれてしまって
たったひとつの慰めは
あなたの生きて在る時に
その値打ちを私がすでに知っていたということです。

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僕の心をゆさぶったのは「ふさわしい者でありたいと…」の部分です。
僕にとってそれは何も妻に対してのことだけではないのです。


最近僕はグループやチームを組んで行動することが多いのですが、
何故だかそれは3人という単位であることが多いのです。
自分で望んで入ったその3人という単位のグループの中で、
いつでも僕は「ここに僕が混じっていても良いのだろうか?」という思いを抱いてしまうのです。

一緒に行動するあとの二人のすばらしい人間性やその能力に触れる度に、
「ふさわしい者でありたいと…」それこそ泣きそうになりながら思うのです。

届かない。その高みには届かない。
どこかでそう確信する自分がいて。
それでもちょっとでも近づいて、何かの役には立ちたい。
それが妻なら幸せに近づける気概だけでも見せたい。
そう願う自分があるのです。

茨木のり子が詠ったように
「その値打ちを私がすでに」知っていればこそ、
少しでも、彼ら、彼女らに対して「ふさわしい者でありたい」と、そう願うのです。


今僕が見定める人生の目標、夢は、
すべて幾人かの人との出会いがもたらしてくれたものです。
人との繋がりがすべてなのです。

だから、僕はそれらの人と並んだときに、それにふさわしい自分になりたいのです。

ありとあらゆる評価や肩書き、地位や名誉も関係ない。
追い抜きたい、負かしたい、支配したい、そんなことは夢にも思いません。
ただ一緒に在って、ふさわしい自分になりたいのです。

いつ何時でも、間近に顔を会わせるなら、それに臆する事のない自分で…。
妻との日々では、いつ何時でもごくありふれた自分が、ふさわしい自分であるようにと。
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by chii-take | 2007-12-23 04:17
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