<   2007年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧
I 'm a Keeper
d0105218_6114733.jpg

思わぬ再会。半年ぶりとはいえ、嬉しい再会。

嬉しいなら、すぐにでも嬉しいという顔をすればいい。
何も言葉で表さなくったってそれだけで充分伝わる。

なのに、今嬉しい顔をしたら変に思われるんじゃないかなとか、
失礼に当たるんじゃないかなとか、
頭の軽い人間に思われるんじゃないかなとか、よく分らない逡巡にかまけて、
表情に出すタイミングが一瞬遅れると、結局何も言えないまま、
そのままズルズルと嬉しい時間は過ぎていく。

今まで何度もこんな消化不良な時間を過ごしてきたくせに、
相変わらず不器用な僕は今でもこんなモジモジ君がやめられない。


終電間際の混んでる電車。久々に元チームメイト3人で並んでみて、
あの頃それがどんなに恵まれていることだったか知らずに過ごしていた自分を発見して、
今からでも行って張っ倒してやりたくなった。

自信なんて微塵もなかったけど、自分たちの仕事に疑いなんてものを差し挟む余裕もなく、
ただ目の前のビジュアルに一途だったあの頃。
駆け出しのグラフィックデザイナーはある意味無敵だった。

時間も経ってそれぞれの道を選んで、厳しい現実が見えるようになると、
自分たちの立たされた現在地に目も眩むような思いの日々。

僕たち三人はクリエイトのバランスについて話す。
自分の世界を表現したいという欲求と、仕事で表現させられている世界の違い。

デザイナーだもの。人のためにつくってなんぼの世界。
でもそれだけだと、いつか感動は枯渇する。心は震えなくなる。


思えばこのブログで言葉を綴ることが、僕の心の均衡を保つ唯一の方法になっていた。
心の調弦。


わずかな再会の時間の間に先輩のもらした一言が僕の心にいつまでも残っている。

「私でゴメン」

お客さんの満足が上手い具合に得られなかったときに思うのだとか…。

つらいとか悔しいとかそういう感情に感化されたんじゃなくて、
どこまでも人のために在ろうとするその先輩の変わらない姿勢に、
その恭しい態度に僕は烈しく共感した。

それは自分とは別の可能性が確かに存在するということを自覚している証拠。
それでも縁があってその仕事は自分に課せられた。
なら精一杯やって見よう。うまくいかなかったらそのときは…。

「僕でごめんなさい」

でもそこから逃げようとは思わない。
上手く行こうと行くまいと、縁があったことに意味がある。
自分と相手とのそのたった一通りの組み合せが生み出す可能性。それにこそ意味がある。
そうでなかったら、代わりなんていくらでもいるこの世界で僕らが生きる意味なんてある?
個性なんて安っぽいものを糧に僕は生きてはいない。


もうすぐ野球のシーズンが終わる。
そうすると日本では盛んではないけれど、本場アメリカではバスケットのシーズンが始まる。
昨年のファイナル。優勝を争うチームに怪我をおして出場しつづける選手がいた。

目元には涙のタトゥー(刺青)。
首筋には「I Am My Brother's Keeper」の文字。
d0105218_6121453.jpg

心臓の疾患と戦いぬいて他界してしまった弟を偲びいれたタトゥー(私は弟のことをずっと見守っている)。
故障した箇所に相当な痛みがあっても、その選手は「こんな痛みは(弟のそれに比べれば)大したことではない」と、コートに立ち続けた。
試合毎に落ちていくスタッツ。彼は一試合で2得点しかとれなかった試合を最後に出場を断念したけれど、
その試合でチームはあと一敗で敗退が決まるというところまで追いつめられていた。

結局昨年そのチームは優勝を逃したわけだけど、
ファンもメディアもチームメイトも、誰もその故障した選手を責めたりはしなかった。
コーチはどんなに調子が悪くても、結果が伴わなくても、
その選手が不動のレギュラーであり、コートに立っているだけで意味があると明言した。
彼がコートに立つ意味を誰もが理解していたし、彼の孤独な戦いに、チームは数字には表れない力をもらっていたから。
今年、僕はもう一度ファイナルの舞台でその選手を見たい。
今度は万全の体調で、彼がコートに立つ意味をもう一度見せてほしい。


ときどき考えること。

どうして僕じゃなかったんだろう?
どうして神さまは僕でなく姉を選んでつれていってしまったんだろう?
空気がいいからと移り住んだ奈良。姉には手遅れだった?

結局僕にはなんの記憶も残らず、ケンジという姉のくれた名前だけが残った。
宮沢賢治と同じ名前。
両親は「健康を志す」という祈りを文字に託してくれた。

宮沢賢治の詩で最も好きな詩は、やっぱり「雨ニモマケズ」。


アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウに入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ


気づきました?
これ、実はデザイナーには必須の条件なんですよ。


「僕でごめんなさい」
ときどきそんなことを思ってきたけれど、
でも、僕は、だからこそ、今を精一杯、自分を精一杯、何かのために使おうと思うのです。

白川先生によると【保】という字は、生まれたばかりの子供に祖先の霊を憑りつかせ、それを守るための産着を着せて抱く形を象っており、「たもつ、霊をまもる、たすける、やすんずる」の意味に用いるといいます。
[PR]
by chii-take | 2007-10-20 06:17
世界で2番目に固いモノ
d0105218_250882.jpg

この世の中で最も確かなものって何?

僕の後輩は、それを金だと答えます。
お金ではありません。貴金属の金です。

人間の力では絶対に作り出せない金がこの世界では唯一絶対的なものであるというのです。
ダイヤモンドは人間の手によって人工的に作り出すことができるから、
たとえこの世界で最も硬い物質であったとしても、金の価値には及ばない。
…のだそうです。

だからと言ってそれが「この世の中で最も確かなもの」になるのかどうかは甚だ怪しいものですが…。
まあ、一理あるということだけは記憶に留めておくことにしました。


先日、意を決して二人の指輪を買いに行きました。
実は一年ほど前に、ヨメの結婚指輪を僕がなくしてしまったのです。
(はい、ありえないことをしてしまいました)(_"_ )>
そのうち出てくるだろうと気楽に構えていたのですが、いつまでたっても出てこない。
いい加減これはいかんなと思って、あらためて二人の結婚指輪を買い直したわけです。

以前から、出てこんかったらこれにしようかと、
二人で目をつけていたちょっと不思議なデザインの指輪があったので、
実際に指にはめて見ようと店員さんに声をかけてみたら、
その人から思いがけずこんな一言が出てきました。

「この指輪は世界で2番目に固い物質でできているんですよ…」

タングステンという金属なのだそうです。

僕は無性にこの「世界で2番目に固い物質」というのが気に入りました。

店員さん的には
「ダイヤモンドカッターでも持ってこなければ傷もつかない」
ということをアピールしたかったようなのですが、
僕はとかく中途半端なこの“2番目”というフレーズが気に入ったのです。

今のところ、僕ら夫婦は、しょっちゅう喧嘩ばかりしてるし、
お世辞にもかたい絆でむすばれた理想の夫婦とはいえない関係です。
お互いに心ない言葉をかけあい、傷つくことの多い夫婦です。

そんな夫婦には「傷つく事もない金属」というのはとっても心のよりどころになるものだし、
なにより、「けれども完全ではないのだから油断はするなよ」という所に、
新しい結婚指輪にもってこいの縁を感じて、
二人はこの指輪をとても気にいって買って帰ったのでした。

ヨメは上機嫌に新しく購入した黒い指輪をはめた僕の手を見つめて、こう一言。

「なんか海苔が巻きついてるみたいやな…」
Σ( ̄ロ ̄lll) 

僕は新しくヨメの左手に装備されたキラキラ輝く金属を見ながら、

(世界で2番目に固い物質で殴られたら、いったいどないなことになるんやろ…)
( ̄〜 ̄;)

それぞれの思いの交錯する帰り道、
僕たちは確かにちょっと嬉しい気分でいっぱいでした。
[PR]
by chii-take | 2007-10-12 02:52
僕はもうあの蠍のように
d0105218_4562931.jpg

『デザイナーは絵描きの落ちこぼれである』

ある大学のデザインを教える教授がこう言ったのだそうです。
この言葉には随分考えさせられました。
またそれが僕の出身校の先生だと言うのだから泣かせてくれる。

じゃ、僕みたいに始めからデザイナーになりたくて絵の勉強をはじめた男はどうなるんだい?
はじめたその瞬間から落ちこぼれかい?

この言葉を教えてくれた人は言います。
「だから僕はデザイナーにはなりたくないんです。芸術家でいたいんです。」
「人のためにつくるものは、自分のためにつくるものに絶対的に勝らないから…」


ほんとかよ…。


それとは関係のない話だけど、僕の先輩デザイナーの気持ちが折れかけています。
あのいつも満面の笑みを浮かべた温和な顔から、鮮やかな色彩が消えた瞬間を、僕はおそらく一生忘れないと思う。

「うすうす知ってはいたんですけど、僕たちのデザインってそんなもんだったんですかね…」

目に見えるものだけを追いかける人たち。
そんな人たちとずーっと対峙してきて、ついにもらしてしまった一言でした。

僕は言葉を失ってしまった。

心の中にあったのは「違う違うそうじゃない」という思い。
でも言葉になったのは「やめないで下さい」という言葉だけだった。

「僕たちがやめたら誰が伝えるんですか?」
…誰が見えるようにするんですか?
…誰が聴こえるようにするんですか?


価値のあることなんて、確かに限られているけれど、
見えない価値に価値なんてない。
見えるようにすることができるのは、きっと僕たちだけのはず。

あの人の笑顔だけが、そのもののおもしろさを伝えてくれたのに。
だから、どうかやめないでほしい。

僕は落ちこぼれでもかまわない。
デザイナーみんなのことを、落ちこぼれと言っても僕はかまわないと思う。
少なくとも僕の友達は怒らないと思うから。
だからどうか、それでかまわないから、僕にできることをさせて、僕たちにできることをさせて。

僕たちに何ができる?

デザインのことを考えるときに思い浮かべる言葉が二つあります。

一つは白川文字学から学んだこの文字について。
【共】という字は、両手でもって神さまにお供え物をする形を表していて「捧げる」という意味があり、その態度から「つつしむ」「うやうやしい」という意味も併せ持っていました。
後に「ともに」という意味が重視されるようになり、元の「捧げる」という意味を別の文字で表すために、下に「心」をつけた【恭】という字が新しくつくられたのだそうです。

もう一つは宮沢賢治の童話から「銀河鉄道の夜」の一節です。
「僕はもうあの蠍のようにほんとうにみんなの幸せのためならば僕のからだなんか 百ぺん灼いてもかまわない」


かなうなら、僕はこれからもずーっとずーっとデザイナーでいたい。
生まれ落ちた瞬間からそうだったと思うから。
つたない力しかないけど、
僕に見えるもの、僕にしか見えないものを、形にして伝えていきたい。

できるのか?
できるできないじゃない。するかしないかだ。
だからどうかやめないで。みんなのために、力をかして。
[PR]
by chii-take | 2007-10-09 04:59
星々の悲しみ
d0105218_5231383.jpg

ここのところ僕の周りは高校の同窓会の話で盛り上がっていて、僕もちょい役で一枚かませてもらっているので、一人必要以上にワクワクして日々を過ごしているところです。
その同窓会の連絡用掲示板がネット上に立てられているんですが、それを見ていて思ったことがあります。

最初は発起人二人の書き込みしかなかった掲示板が、徐々に一人また一人とかつての仲間が声を上げるようになり、
一人が書くと、またその人の連れが書き、その内容に思う所のあった人がまた書く…、
なんだかその様子を眺めていると、まるで夜の帳が降りて明るい星から順番にぽつぽつと見えるようになる夜の星々を見るような思いでした。

昨日はその同窓会の打ち合わせに顔を出したんですが、やっぱりまだ連絡がついていない人が多くて、話の大半が人探し…。
Aさんは、BさんCさんと仲がよかった筈だから、Aさんと連絡がついたらあとの二人に繋がる筈…だとか、
まるで一つ一つの星を線で結ぶ星座を形づくろうとするかのような作業でした。

僕が嬉しかったのは、その人脈相関図を見ていて、当時あまり多くの人とつき合わなかった僕も、
その星々の中のちゃんとした一つの星であり、その星座の片隅にしっかりと繋がっていることがはっきり目で見て分ったことでした。

そしてもう一つ、僕が寂しいと思ったことは、
その星座の中にはもう輝くことのなくなった星が含まれていることを、そこにいたみんなが知っていて、あえてそれに触れないでいようとしていたことでした。
でも、僕はその見えなくなってしまった星があったからこそ、今回の同窓会の話があるんだとなんとなく思ってしまっています。
今回形作られる大きな大きな星座の中心にきっと彼女がいるんだと、そのノートを見ていて思いました。


高校時代、現代文の教科書の中である短編小説に出会いました。
その後大好きな小説家となった宮本輝さんを知るきっかけになった作品で、「星々の悲しみ」という短編です。
その短編では、ある薄命の画家が描き残した絵画「星々の悲しみ」が、
登場人物たちに様々な人生の啓示を与え、同時に読む人にも、命の儚さや喜びを印象深く訴えかけるアイテムとして登場します。
登場人物たちはこの薄命の画家が描き残した作品に自分たちの人生を重ね合わせていました。



僕は高校時代あまり人付き合いのうまい人間ではありませんでした。(今もそう?)
最近になって親しくさせてもらうようになった人は、僕のことを当時とはまったくの別の人のようだと言います。
でも、当時から僕と親しかった人間は、突如社交的になった僕のことを、
本来あの頃得られるべきだった人間関係を取り戻そうとしているところだと言います。

僕もそうだと思っています。
僕は何も変わっていない。ただあの頃、やっぱり一人一人の友達がとっても大事だったから、
限られた人とつき合う余裕しか僕にはありませんでした。それだけで一生懸命だったんです。
(だからこそ、彼らとは今でも深い付き合いがある)
今はその余裕があるのかというと、けしてそうとも言えませんが、それでも僕はあの頃よりほんの少し器用に、そして素直になった。
自分に絵描きや作家ではなく、デザイナーという役割を科したときに、
はじめて誤摩化しや嘘をつくことなく、一人一人の友達と、一人一人の価値観を尊重して話すことができるようになりました。
そうすることの喜びがわかるようになったんです。それはとんでもなく劇的で心から嬉しいと思える出来事でした。

そうして人の言葉に耳を傾けるようになったとき、僕ははじめて彼女のことを、見えなくなった星があることを知りました。
今回の打ち合わせで彼女のことを思ったとき、僕は同時に「星々の悲しみ」のことを思い出していました。
宮本輝がこの作品のタイトルに「星々の悲しみ」という名前をつけたその感覚をリアルに追体験する思いだったのです。

あえて、もう「手遅れ」という思いはありません。
四月。
同窓会が実現すれば、その会場には巨大な星座が浮かび上がり、
僕はその片隅を担いながら、彼女の残した残光がその中央に瞬くのを、確かに感じ取れるであろうことを充分過ぎるほどに知っているからです。

白川先生いわく、
【望】という字は、爪先立って遠く上方を望み見る人の形を表していて、「のぞむ、まちのぞむ、ねがう」の意味に用いるのだといいます。

結局僕は、今日もこの夜空を見上げていました。
[PR]
by chii-take | 2007-10-07 05:12
風の言祝(ことほ)ぎ
d0105218_981413.jpg

とっておきの文字があります。
白川先生の著作をもとに、古代文字の勉強をはじめて、今まで出会った文字の中で一番美しい文字。

【風】です。

よほどのことがない限り、この文字のことは話題にしないでずーっととっておこうと思っていたのですが、どうも今語るに相応しい出来事が近しい人の身に起こったようなので、思いきって今とり上げてしまおうと思います。


d0105218_1215618.jpg
【風】がまだ【風】と書かれていなかった時代、【風】は【鳳】という文字で表されていました。
(右図参照:正確には、後に「鳳」になる文字と同じ文字を使っていたということです)


けして目には見えない【風】という現象を、
鳥の羽ばたく姿に託して、見えるように形にしていたのです。

白川先生の研究において、鳥を象形した文字が持つ意味は重要です。
大空を自由に羽ばたき翔る鳥に、古代の人は神秘的な力を感じ、多くの祈りを託しました。

亡くなった人の魂を向こうの世界に届ける存在として、
あるいは、亡くなった人その人の化身として、
また、天空から舞い降りる鳥の鳴き声に、
神さまの声を聴こうともしました。

【風】も森羅万象の成せる技ならきっと神さまの行いに違いない。
そこで古代の人は鳥になぞらえて神獣である鳳凰の形を描き、【風】としました。

土地の文化や産物のことを「風俗」や「風物」というのは、
鳥の形をした風神(鳳凰)が各地に出かけて行き、
そこの人々に影響を与えて生まれたものであるからだと先生はいいます。


d0105218_436136.jpg

「いつもいい風がこの子に吹きますように…」
宮崎駿の描いた物語「風の谷のナウシカ」で幼い子供の幸せを願って、部族の人々がこぞって口にする台詞です。
はじめて読んだときなんて素敵な言葉なんだろうと思いました。

こんな言葉もありました。
物語中、ずっと旅を続けるナウシカの来訪を受けた異国の僧正が、その死に逝く間際に残した言葉。
「風が来ました。やさしく猛々しい風が…」

思うに【風】という言葉には、常に生命力のような意味合いが含まれていると思います。

風が好きです。
この奈良盆地に吹き込む風は、秋冬ともなるとこの土地に強烈な極寒をもたらしますが、
だからこそこの土地には龍田明神という風を司る神さまがいますし、
この神さまは、聖徳太子が法隆寺を建てるとき、自ら「守り神になってやろう」と老人の姿を借りて人々の前に現れたという伝説も残っているくらい土地に根付いた神さまです。
そう、この土地「奈良」は風に守られた土地なのです。

去年、住む街選びで県内各所をうろうろしていた頃から、この土地には常に山から吹き下ろす風があることを知っていました。(それは僕が生まれた街も例外ではなく…)
昨日、友達の日記に「風」という文字をみつけて、ふいにそのことを思いだしたのです。
そしてある古い詩のことも同時に思い出しました。


今日は最後に風にちなんでこんな詩を引用させて下さい。
中国最古の歌集「詩経」の一説です。
この詩も白川先生の研究以降、随分その解釈が変わったようです。
最新の解説書を元にした訳をつけておきますが、
僕なりに簡単な言葉に変更した文章になっている点だけご了承ください。


鶴 九皐に鳴き 声 野に聞こゆ
(蛇行する沢に鶴は鳴き その声は野にも届く)

魚潜みて淵に在り 或いは渚に在り
(魚は深き淵に泳ぎ また浅き水辺に泳ぐ)

楽しきかな彼の園は ここに樹檀有り 其の下にこれ擇あり
(めでたき彼の国の地はムクノキが茂りニワウルシが繁る繁栄の地) 

他山の石も 以て錯と為るべきならん
(ここに嫁ぎし他国の娘も、玉を磨く砥石のごとく立派な妻となろう)

宗廟において新しく迎えた花嫁とその故郷を讃え、結婚を祝福する詩なのだそうです。
「他山の石」というのは他部族から来た花嫁を比喩表現したもので、
「以て錯と為るべきならん」とは立派にその役目を果たすだろうと言祝(ことほ)ぐ句なのだそうです。
また、「楽しきかな彼の園は〜」のくだりは、嫁いで来た花嫁の祖国を讃え、更なる繁栄を祈願する言葉なのだそうです。
最後に「鶴」はその地に降り立った氏族の神様を象徴しており、「魚」はその繁栄の象徴として歌われたものであると、僕の手元にある解説書は結びます。

年始からのばしている髪が、いよいよサラリーマンらしからぬ長さになってきました。
それが風になびくのがなんだか心地いい季節です。
(もうすぐめちゃくちゃ寒くなるんですけどね…)

あっちにもこっちにも、
「いつもいい風が吹きますように…」
そう願ってやみません。
d0105218_437677.jpg

[PR]
by chii-take | 2007-10-02 04:41