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おやっさんのノート
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新しい職場を得てそろそろ一月が過ぎようとしています。
試用期間は2ヶ月。生き残りをかけた戦いが続いています。(大袈裟(^^;)

今度の職場は奈良平城宮跡のすぐそば。
奈良の土地で明治初期に和紙商として創業して以来、今も続く歴史のある印刷会社なのだそうです。

といっても奈良は奈良。事業規模は以前いた大阪の会社よりも小さく、デザインの仕事といったってそうそう転がっているものではありません。
今は印刷の製版(いわゆるDTP)に関わる仕事なら、専門に関わらずすべて担当しなければいけない状況にあります。
当然経験のない業務が多くて、ミスを連発している毎日です。
周りの先輩方には迷惑をかけ通し。
「落ち込むこともあるけれど…」
そういう日々を送っています。

あんまりミスばっかりが目立って仕方がないから、直接上司である部長代理に、いやいやこんなもんじゃありませんよと。
今に見ていてください。デザインの力で自分の居場所くらい作って見せます。
冷や汗かきながら、「30歳ではありますが自分のポテンシャルを見て下さい」と嘯いていたら…。

部長代理いわく、
「自分の考え方では、この人はあかんと思ったら一週間で辞めてもらっています。もう一ヶ月居るというのはそういうことです。」
と、
さすが部長代理は言うことが違うと思っていたら、その後なんか様子がおかしい。
なんだか僕の30歳という年齢が気になっているらしい。

訊くと、なんと部長代理は同い年。それも僕の友達と中学校時代の同級生ということがわかって、新しく入った新米部下と厳しく見守る上司という関係はもろくも崩壊し、同い年同士のちょっとした仲間意識らしきものが見え隠れ…。

あーあ。台無しだよ。とか思いながら、そんな状況が可笑しくて、おもしろくなってきたなとわくわくしている今日この頃なのです。

職場の同僚…、(いや先輩というべきですね)ともだんだんと打ち解けてきて、小さな会社ですから、余っている筈もない…けど必要な備品の数々というのがあって、
「これ私殆ど使ってないから使って下さい」
と分けてくれる人がいて、そんな人たちがくれたMOだのHDだのが、日を追う毎に机の上に増えていっている状況がなんだかとっても嬉しいのです。

はっきりとデザイナーと自負している人がほとんどいない状況で、それでも日々生産を続けている“職人”たちとのやりとりは、やはりクリエイティブな刺激に溢れていて、今日はそんな素敵な印刷の職人が話してくれた素敵なめぐりあわせについて話します。



血について。運命について。父について。


その人は“おやっさん”という言葉を使いました。
“おやっさん”というのは普通仕事の上司、いわゆる親方や、目上の人に対して使う敬称です。自分のお父さんに対して使う敬称ではありません。

だから、僕はその人が「“おやっさん”がそう言っていた」という言うたびに、誰か経験豊富な職人さんがいるんだなと思っていました。

その人は製版スキャナのオペレーターで、DTPの世界では、いわゆるレタッチャーと呼ばれる人で、会社で製版データを作る際の画像の色の責任者にあたる人です。

その人が言う“おやっさん”というのは版下時代の製版スキャナのオペレーターのことで、もう今の時代にはほとんど使われていない機械だけど、今の画像分版の仕組みの礎を築いたともいえる専門職なので、その人は“おやっさん”の話を今の自分の仕事に活かせるのではないかと、その言葉をとっても大事にしているように感じました。

でもよくよく聞いていると、なんか話が噛み合ない。あれ変だな。どういうことだ?と考えていたら、その人いわく、

「ああ、“おやっさん”というのはお父さんなんです。僕の…」

「え、じゃお父さんの仕事を継いだということですか?」


と訊いてみたらば、

「いや、たまたまです」

と答える。

ますます合点がいかない。

お父さん…、いや“おやじ”のことを“おやっさん”と呼び、その人と同じ仕事をしながら継いだわけではない…。たまたま?

?????

その人は怪訝な顔の僕に続けてこう話してくれました。
「僕はお父さんがどういう仕事をしていたか最近まで知らなかったんです」

「学校出て、たまたま印刷会社に入って、紆余曲折を経たあと、今こういう仕事をしている、という話をしたら、お父さんも驚いて…」

「今も家には“おやっさん”が昔使っていたノートが何冊もあるんです。見ても意味なんてわからないんですけどね」

と言いながら、スキャナや印刷の色について質問したら、まず最初に自分の見解を述べた後に、必ず“おやっさん”はこう言っていました。と両方の意見を教えてくれます。

たぶんその人が自分の意見だけでなく先人の考えも交えて教えてくれるのは、先人がお父さんだからではないのだろうなと思いました。
その恭しい態度にものすごく共感すると同時に、何か大きな力が、この人をこの仕事に近づけたんだろうなと感慨深く思いました。

運命?
血?

よくわかりません。

今僕は毎日その人が色調整してくれた画像を使ってレイアウトの仕事をしています。
なんだかとっても貴重なデータを触っているような気がして嬉しいのです。

僕はその人が、色の職人の父親のことを、“お父さん”と“おやっさん”と呼び分けているのがなんだか気になっていました。
それもイントネーションが何かおかしいのです。
その人が“お父さん”と言う度に、どこか遠い人のことを指しているような気がして…。
今も隣にいる人のように話す“おやっさん”とは違って、まるで別人のことを指しているように聞こえるのです。

純粋な奈良っ子の人ですから、方言的な違いでちょっと変わって聞こえるのかなと思っていたのですが、別の話題のときに何気なく訊いてしまった話でまた驚きました。

「お父さんは亡くなってしまったんです。病気で。数年前。」

しばらく二の句が継げなかったのですが、僕はそのとき思いました。
仕事をしている限り、今も“おやっさん”は近くに居るんですね、と。


仕事。役割。命。

突きつけられていることは、いかに生きるかということでした。
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by chii-take | 2008-04-28 00:11
Rockがまだ本当にRockだった頃
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先日の高校の同窓会である同級生が話してくれたちょっと昔のありえないような逸話について。

そいつはカート・コバーンというロックミュージシャンの生のステージがどうしても観たくて、はるばる海を渡ってアメリカまで行きました。

その時点で、もう何年も前にカート・コバーンは亡くなっていたというのに、そのことをまったく知らずにそいつはアメリカまで行ってしまいました。
なんて間抜けな男なんだろう。
おまけに帰りの航空券を紛失してしまい、そのままアメリカに居着いてしまったというちょっと気がふれたような可笑しな話までつけてくれました。

間抜けと言うにはあまりにも愛嬌があり過ぎて、それはもうRockな話としか言いようのないような馬鹿げた話でした。

しかしカート・コバーンが亡くなったのは1994年。
その頃といえば、まだそいつと僕は同じ教室で同じ制服を来ていた頃ではないか。
知らないというのはどういうわけだ。
カート・コバーンの訃報を聞いて、“とうとうRockは終わってしまった”と本気で思ったのをよ〜く覚えています。
どうやら彼の中ではまだ終わっていなかったらしい。

僕は思う。
彼の旅において、
本当にそこに生きたカート・コバーンは必要だったのだろうか?
あるいはもしかしたら、本当の意味ではそこにカート・コバーンは居たのではないだろうか?





先日の同窓会当日に足の骨を折ってしまい、それからずっと巻いていたギブスがようやくとれました。
それから僕が最初にしたことはやっぱり写真を撮ることでした。

時間的な制約があって、夕方になってから被写体として探しはじめたのは季節の花であるヒナゲシの花です。
いつもそこらへんにいくらでも咲いているのに、その日は探せど探せどいっこうに見つからぬヒナゲシの花。
あきらめかけた頃にようやく見つけたしぼみかけの花数輪。
それが今回の写真です。

残念ながら花は小さくしぼんでいたけれど、
憑かれたように探し求めていた花にようやく出会えて、僕はほろりと嬉しかった。

明くる朝早く、
昨日はあんなに探したのに見当たらなかったヒナゲシの花々が、
道端にたくさんたくさん群生しているのを見かけて僕は唖然としました。
しかも花は生気に満ちた大輪です。

朝日。

ヒナゲシの花にとっては欠かすことの出来ないそんな当たり前のファクターにはじめて気づかされて、
僕は彼らに嘲笑われているかのようで、ちょっと恥ずかしかったのです。
でも、朝の柔らかい光のなかですくっと伸びたヒナゲシの花は、
なんだか僕の探していたヒナゲシの花とは違うようで…。
かまいやしない、笑わば笑えと鼻から息を吐いて僕は揚々とそこから立ち去りました。

僕の探していたヒナゲシの花は別名を「虞美人草」といいます。
戦に敗れて城に孤立した楚の国の王である夫に「虞や虞や汝を如何せん」と詠われて、
これから死地に赴く夫の足手まといにならないようにと、自ら命を絶ったと言われる虞美人にちなんで名づけられた名前。
彼女の名前は歴史の史書の上でその一節にしか登場しません。
普段はどんな人柄で、何をしたのかも、どのように命を絶ったのかも一切伝わっていません。
実在したのかどうかさえ疑われる伝説の女性。
でもその名前は、あくまでも運命に抗う夫の残した嘆きの歌とともに人々の記憶に残りました。
それは反対に、虞美人が儚くも可憐に、運命に翻弄されながらも強く生きた人の証だろうと思うのです。
そんな人の面影を僕は虞美人草の中に探していました。


そこに居るはずのない人がそこに居て、
そこにあるはずのないものがそこにある。
そんな風景が間抜けであればあるほど、僕はそこにRockを思います。
そんな人居るわけないけれど、逢えたらいいな。繋がれたらいいな。
探していたのはそんな関係。そんな風景。


このところ「レッド・ツェッペリン」だの「ポリス」だの、往年のロックバンドの再結成の話題が後を絶ちません。
そんな話題に一喜一憂する僕は随分おっさんになったものだなあと思います。

テレビで見るかぎり、ロバート・プラントジミー・ペイジも元気そうだった。
スティングがロックミュージシャンだったことなんて久しく考えたこともありませんでした。
スティングがまだ生々しくRockミュージシャンだった頃にこんな言葉を残していたという話を、朧げに憶えています。

「Rockバンドとは思春期の幻想に過ぎない」

それでいいと思うのです。
ときに人は幻を必要としていますから。

John Lennon
Paul McCartney
Jimi Hendrix
Jimmy Page
Robert Plant
John Paul Jones
John Bonham
Robert Fripp
Tony Levin
Sting
Edward Van Halen
Billy Sheehan
Kurt Cobain
私の愛したRockミュージジャン。
今も生きている人、死んでしまった人、様々だけど、
それが虚像に過ぎないのだとしても、夢見るおっさんは今もRockなことに夢中です。
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by chii-take | 2008-04-23 21:14
もっぺんやっても
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最近、論語のこんな記述が気になっています。

子の曰わく、
与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。
与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。
与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。


ともに机を並べて学んだ人でも、価値観をともにすることは出来ない。
たとえ、価値観をともにすることが出来た人でも、ともに同じ場所に立つことは出来ない。
たとえ、ともに同じ場所に立つことが出来たとしても、ともにその場を取り計らうことは出来ない。


もし今僕が孔子に何か問うことができるのなら、この言葉について、こんなことを訊いてみたいのです。

もし、共にその場を取り計らうことが出来たなら、その関係はいったい何なんでしょう?


およそ半年かけて計画してきた高校の同窓会が先日ついにその当日を迎えました。
僕がズッコケて少々足の骨を折ったということ以外、とくに大したトラブルもなく、昼夜二部に渡って催した同窓会は無事に終了しました。

元美術科の生徒の集まる同窓会。
この機会に今も創作を続けている人で展覧会を開こうと、前日には作品を郵送してくれた同窓生の分も含めてギャラリーへの搬入がありました。
半年間共に計画を練ってきた幹事代表は、そのとき「もうこんなこと絶対やらへん」とへとへとの口調で断言したものですが、
明くる同窓会当日、すべての催しが無事終了した後、その舌の根も渇かないうちに、

「もっぺんやってもいいかも」

と言い出したのには正直驚かされました。


はやり言葉ではないですが、僕はそのとき
「どんだけー(笑)」
と思ったものです。

なんでも同級生からの感謝の言葉の数々に感激して気持ちを翻したのだとか…。
やれやれ困ったもんだと思っていたのですが、
でもその翌日から僕のところにも押し寄せる「ありがとう」の数々。
そんな言葉を何人もの同級生からいただいてしまって、
「もっぺんやってもいいかも」
なんて世迷い言をぬかした彼女の気持ちが、なんとなく僕にもわかるようになってしまったのです。

やれやれ、困ったものです。(笑)


当日の会場でも、またここ最近の同級生の日記にも「5年後」という言葉をよく耳にしました。
5年後といえば35歳。はてさてそんな元気はあるものか?…


同窓会からその後一週間が過ぎましたが、幹事代表からはまだ3日と空けずにメールが来ます。
また新たな催しを次々と企画する彼女のエネルギーに今も翻弄される日々です。
勘違いしないで下さい。僕は嬉しいんです。
たとえどんなに他の同級生たちが彼女に感謝の言葉を捧げようと、
すぐ隣にいた僕ほどそれを思っている人はいないのだと、それだけははっきり言わせてもらっておこうと思います。
僕だけが知っている彼女のがんばりや、そのことから知らされた彼女の思いの深さは、そういう風にしか表現できないものです。



最後に内輪の言葉で申し訳ないのですが、
隊長、並びに副隊長。そして遠隔地の支援隊のみなさま。どうもお疲れさまでした。

そして同級生のみんながくれた「ありがとう」。
それに見合うほどのものは何も提供できなかった僕は、「どういたしまして」という言葉すら憚れるのです。
唯一言えることは、「こちらこそ、素敵な笑顔をありがとう」。
あの日撮った4枚の集合写真。今まで僕が撮った写真の中で、最も大切な写真となりました。

また逢おう。どうか変わらない笑顔を見せて下さい。
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by chii-take | 2008-04-10 02:44
サクラサク
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まだ“仮”という文字がついているんですが、ようやくちいたけの奈良での就職先が決まりました。

思えば一昨年の8月、移住を決意してから随分と長い時間が過ぎました。
過去のことを考えながら、同時に未来のことを想像していた1年と7ヶ月です。

たくさんの出来事がありました。
今もってすべてがうまくいっているわけではないし、
やろうとしたことすべてが困難を極めたわけでもありません。
でも、すべての出来事が僕にとってこれまでの人生で最も印象深かいといえるような出来事でした。

この1年と7ヶ月の間に僕と関わりを持ってくれたすべての人に、今あらためて「ありがとう」と言いたい。

明日から僕の挑戦は次の段階へ進みます。
まだ、本当ははじまったばかり。
今度は未来のことを考えながら、過去を抱いて進みたいと思うのです。

そんなことを心に期する桜の季節です。
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by chii-take | 2008-04-01 01:46