<   2008年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧
あなたが◯◯できたなら。
d0105218_0574591.jpg

「星占いに書いてあったから…」

男はそんな言い訳を用意して女に電話をかけた。



「あなたがタバコをやめることが出来たなら…」

女はそのとき男が申し入れてきたことにそんな条件をつけた。


…二人とも素直でない。




この連休の中日に、突然奈良まで遊びに来てくれた友人たちがいました。
その中に、こんなわざとらしい駆け引きの果てに、つい一月ほど前から付き合い出したばかりの初々しいカップルがいました。

なぜだか二人揃ってすっぱすっぱと次から次へと新しいタバコに火をつけていたのが見ていてとても愉快でした。
どないやねん。(笑)

実は(僕も?)毎週星占いを見ていいます。
何か行動を起こすとき、何かに迷っているとき、とても混乱しているとき、
何か普通の価値観では図れないものにその根拠を求める気持ちはよくわかります。

◯◯に◯◯が出来たなら…。
直接には関係のないようなことに、別の目的の願を掛けようというその気持ちも。

自分ひとりの決断ではなくて、何か自分の外のモノと一緒に目的を果そうとする気持ち。
背中を押される感覚。心強くなれる感覚。目に見えないものの力を信じる心。


「拠り所」という言葉に使われる根拠の【拠】という文字があります。

白川先生によれば、古くは【據】と記されていたこの文字は、
右側の虎によく似た部分が、兩足を擧げた虎頭の神さまを象っており、この神さまを釣鐘の掛け金の部分によく刻印していたことから、身の倚りかかるところのものを【據】といったのであろうとされています。

d0105218_0583852.jpg

背中を押している存在が、得体の知れない虎の顔をした神さまというのは、なんだかゾクっとするような光景ですが、その神さまの姿が勇ましくあればあるほど、強い心を持って前へ進める気もします。

いずれにせよ目には見えないものなので、気にする必要もないのですが…。


二人はお互いの次の誕生日からあらためて禁煙に再挑戦するのだと言っていました。

若いカップルが、これから先末永く一緒にいられるように、それを願ってやみません。
二人が頼った神さまが、これから先もずーっと彼らに強い気持ちを与えてくれるようにと。

おめでとう。お幸せに。
d0105218_0593834.jpg

[PR]
by chii-take | 2008-07-22 01:17
映画「崖の上のポニョ」から
d0105218_3384063.jpg

奈良に引っ越してからというもの、映画を観に行くことが多くなりました。
歩いて行ける距離に2件も映画館があって、しかもその片方は毎週土曜にレイトショーをやっていて、料金は大人でも1200円。これは行くしかないでしょ。
もちろんそのことは引越前から織り込み済み。
引越のときに目当ての物件の近くにあるかチェックした項目は「図書館」「本屋さん」「駅」「神社」「森」そして「映画館」なのです。

ということでさっそく行ってきました。「崖の上のポニョ」。公開初日です。
もちろんレイトショーの料金1200円。館内後方真ん中の席で、着席率は50%ほど。いたって快適です。さすが奈良!

映画は「ハウルの動く城」以来の宮崎印。やはり日本のベストはあの人です。
ネタバレすることはもちろん書きません。
ただとにかく観ていて嬉しくなる映画でした。
涙が出そうなほどの喜びに溢れた作品です。

昔バイト先で所在なげにしている猫を拾って家へ連れ帰ったときのことを思いだしました。
意識を持つ人間と、意識を持たぬその他多くの動植物とは、本当の意味ではもう交わることはできないのか? 共に生きることはできないのか?
そんな疑問や不安を一掃してくれる開放感に満ちたすばらしい映画です。



実家を出て随分たちます。
実家に戻る度、母は僕が置いて来た猫はもう僕のことは覚えていないだろうと言います。
確かに僕が家に帰っても、とくに気にする風もなく素知らぬ顔をして自分のベッドの中にうずくまって出てこない彼女ですが、僕が無理矢理たぐり寄せて胸に抱くと顔では嫌そうな顔をしながら、いつかゴロゴロと喉を鳴らせ始めるのです。
抱いたときに鼻をくんくん言わせている仕草を僕はもちろん見逃したりしません。
こいつちゃんと覚えていて忘れたふりをしていやがる…。そういうのがありありと解ってなんだか嬉しくなるのです。

母も母で、「ミーコ(母が名づけた彼女の名前)はお前のことなんかもう忘れた」と言いながら、彼女の態度が他人を家に迎え入れたときのそれでないのは充分に知っているのです。
数回しか会っていないはずのヨメに対しても、彼女はいつもの態度で過ごしてくれます。
基本的に正体不明な者でなければ、もはや興味さえ持っていないということなのでしょうが、僕には彼女がヨメのことも家族と認めてくれているのだと思えて、それがなんだか無性に嬉しく思えるのです。


映画の中で主人公の宗介とポニョは本当に深い繋がりを実現します。
無論それはファンタジーだから描けることなのですが、何より五才という年齢がそれを描いて一つも不自然に感じさせない所以なのでしょう。

もはや30才になってしまった僕には、宗介のように生きたいとは思うことさえ憚られます。
でも、映画には立派な大人として登場しながら、目にみえないことも理屈では通じないことも凛々しく優しく包み込むキャラクターが登場します。
それは、宗介とポニョのそれぞれの両親です。とくに山口智子演じる宗介の母がすばらしかった。
僕がずっと憧れてきた「となりのトトロ」に登場するパパに匹敵するほどのキャラクターでした。
彼女のように生きたいと思いました。

今日は映画「崖の上のポニョ」にちなんでこんな文字の成り立ちを紹介します。
あまりにも親しみのある文字。そして我々奈良県民は永遠に憧れる文字です。

【海】

白川先生による解説を読み進めると、僕は「ああ、なるほど」と胸のすくような思いがしました。
この文字の成り立ちは誰もが納得できるものだと思います。

「海」は流れる水流を表す「さんずい」と「毎」で形作られた文字です。
「毎」は「敏」と文字の成り立ちを一にしており、その形は、髪を結い上げて祭祀に勤しむ婦人の姿だと言います。

「海」が「母」であるということを、古代の人たちはどのようにして知り得たのでしょう。
発掘調査もDNA鑑定もできない人々が…。

もしかしたら彼らも、草や魚、鳥や獣すべての生き物が、みな最初は同じ海の泡から生まれた兄弟であることを、その恐るべき感性で知り得ていたのかも知れません。

あまりに化学を知り過ぎた僕たちが、今となってはもはや永遠に知り得ないであろう様々な秘密が、文字の中にはまだまだたくさん隠されていそうな、そんな気がしています。
[PR]
by chii-take | 2008-07-20 03:39
背中合わせの向こうの人に
d0105218_1453672.jpg

自分はさも「デキる人間」かのような言い回しをしてしまったときの嫌気というのは、本当に身の毛もよだつような思いなのに、
自分が思っている以上に「デキない人間」だと誰かに思われることには、腑がどうにかなってしまうほど煮えくり返る思いなのです。

天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず…。

福沢諭吉は嘘つきではないと信じている僕は、誰よりも自分が上等だとは思わないし、誰よりも自分が下等とも思わないのです。



最悪な出来事というのは、
正直に自分という人間を解ってもらおうとして話しはじめた話の内容が、
さも「デキる人間」かのような話になってしまっていて、
それを話したことで、自分がとてつもなく愚か者のように見えていることに、
自分自身で端と気がついた瞬間をいうのです。


【愚】
白川先生によれば、この文字は「禺」と「心」から作られた文字で、「禺」は頭部の大きな爬虫類系の動物の形であり、その立派な姿に似合わず、知恵が乏しい様を【愚】と言ったのだそうです。

しかし先生はその記述の中で、禺は主に水の神さまの名称として使われることが多く、けっして愚かな獣の姿を象ったものではないと記しておられます。
論語に「大賢は愚なるが如し」とあるのを挙げ、時と場合によっては、同じような態度でも、ときに「愚」になり、ときに「賢」になりうるということを記しておられます。

時機を得るということの難しさと共に、それは人と人とが解り合うということの難しさであると直感しました。

知ってもらおうと思うことで誤解される。
言わずにおこうと思うことで気づかれもしない。

これが愚。

言うべきときに言うことで、何かが生まれ、
語らないことや、いっそ忘れてしまうことで、人はもっと優しくなれる。


「禺」は尊ぶべき神さまの姿。でもそんな心を持ってしまうのは「愚」。
d0105218_1464464.jpg

[PR]
by chii-take | 2008-07-19 01:51
火の言葉
d0105218_043891.jpg

焚いて居る人が 燃えて居る火




陶芸家、河井寛次郎の言葉です。




つくることを仕事にすることは、なかなか自由にはつくれない、ということです。

つくることを趣味にするということも、なかなか思うようにはつくれない、ということです。

いろいろな道を選んだ人がいて、みんなそれぞれに思い悩んでつくっています。

それぞれの人が、ときに斜め45度下を見ながらつぶやいた一言一言が、仕事であれ趣味であれ、つくったものを美しくする秘訣なのだと僕には思えました。

もちろんそのあと見せてくれたみんなの最高の笑顔も、きっとそういうものの産物なのです。



寛次郎はこんな言葉も残しました。



焼けてかたまれ 火の願ひ


[PR]
by chii-take | 2008-07-15 00:11
呼び合う言葉
d0105218_1275154.jpg

たとえば、4年5年とその人と話すことはなかったのだとしても、また偶然何かの拍子に再会したときには、それまでの時間が、その人と同じものを見ていた4年5年であればいいなと思う。




宮崎駿と押井守の監督した映画がそれぞれこの夏公開される。
まるで示し合わせたかのように呼び合うコピーが印象的だった。

宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」のコピーは、

生まれてきてよかった。

押井守監督の「スカイ・クロラ」のコピーは、

もう一度、生まれてきたいと思う?


日本を代表する二人の映画監督が、今この時代に同じものを見ているんだと思えて、なんだかはっとする思いがした。

そしてそれは僕には見えているだろうかと自問する。

それはわからないけれど(見えると言ったらきっと怒られる…)、

一度同じものを見れた仲間とは、ずっと同じものを見ていたいと思う。
一歩たりとして遅れたくはない。
それが今僕を唯一走らせることのできる原動力になっている。

ねえ、今、何が見えている?

d0105218_1282586.jpg

[PR]
by chii-take | 2008-07-13 01:40