<   2013年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧
一期一会
d0105218_5323417.jpg
Carl Zeiss Vario-SonnarT* DT 16-80mm F3.5-4.5ZA / SONY α100


今日は会社の新年会 兼 送別会でした。正確にはもう昨日のことですね。
本当は帰宅してすぐに酔った勢いで書いてしまおうと思っていたことですが、微妙な内容なのでなかなか書き始めることができず、すっかり酔いもさめつつある明け方になって、ようやく書く決心がつきました。

今日は一緒に仕事をさせていただいている面々との宴会で、久しぶりに楽しいお酒が呑むことができました。これは本当のことです。
ですが、実は今日の僕は宴会中もある言葉が頭から離れなくて、少々深酒が過ぎたのは、実はこの言葉を一時でも忘れようと思っていたからです。

「僕が生きる今日はもっと生きたかった誰かの明日かもしれない」

少々辛気くさく、辛い話をしなければいけません。
実は古くからこのブログを読んでくださっていた方には報告しなければいけないことがあったのです。


「7年も前の話」というタイトルで5年前にアップした記事。ここに紹介したある先輩社員(前の会社の)のことです。
今までブログを書いてきて、失礼にも何人かの身の周りの人を匿名で紹介したことがありますが、
その中で一番反響が大きく、コメントを見ていただいてもわかるように、多くの僕の友人から好意を示された人です。
それだけにここで改めて報告するのは、僕にはかなり勇気のいることでした。

今日、当時の別の先輩がweb上にこの方への思いをつづられたのを見て、
やはり僕も自分のために、ここに今の思いを書き留めておこうと思いました。
上の言葉はその方が引用されていた言葉です。

僕のことを「無菌室のエリンギ」と評してくれたこの先輩は、
昨年末、37歳の若さでお亡くなりになりました。

d0105218_534542.jpg
Carl Zeiss Vario-SonnarT* DT 16-80mm F3.5-4.5ZA / SONY α100



類稀な才能…。言葉にすればそれはあまりに安っぽい表現で、
何か一つボタンを掛け替えれば、偉大な芸術家になったのではないかと本気で思うほどの絵の才能に恵まれた人でした。

言葉もありません。ただただ口惜しいのです。

神さまがいるとしても、きっと神さまは人間一人一人の営みなんて、
これっぽっちも気にしていないのでしょう。

誰を残し、誰を奪うかなんて、
ロシアンルーレットのように場当たりで、適当で、
無作為に選んだ人を、神さまは時折気まぐれに奪っていかれます。
僕は正直もう飽きたのです。

祈りは届かない。祈っても仕方ない…。
としても、祈りに意味がないとは思いたくないのです。
文字学を通して白川先生が教えてくれた「神さま」はまさしく自然そのもの。
草や木を揺らす風の匂いや水のたゆたいこそが「神さま」であるなら、
自然界から逸脱した私達の都合など、やはり「神さま」には何の意味もないのでしょう。

でも?
だから?
僕は今、人のことは人に祈ろうと思うのです。
(自然のことはこれまで通り神さまに祈るとしても…)
人の世界でのみ感じることの出来る健気な奇跡を信じて、
人のことは人に祈りたいのです。

ここまで鬱陶しい文章を読んでいただいた方に、
あらためて伝えたいことがあります。
もしかしたらその中には今日の宴会を同席してくれた方も含まれているかもしれません。

今日席を同じくして共に過ごした仲間が、
明日も必ずそこにいるとは思わないでください。

今日送り出した同僚と、
いつでもまた会えるとは思わないでください。


一期一会という言葉の本当の意味は、
次の機会を絶対的に失った人にしか分りません。

出会いを大切に。
別れをより一層大切に。
あなたの身体は、あなたがこれまで出会ったすべての人にとっても大切な身体です。
だからお身体には気をつけて。

それは明日かもしれない。来年かもしれない。
10年後かもしれない。
でもとにかく、また会いましょう。


d0105218_5373899.jpg
Carl Zeiss Vario-SonnarT* DT 16-80mm F3.5-4.5ZA / SONY α100


p.s.
もし読んで下さったなら、本日の主賓様へ。
縁起でもない話をしてすみません。
ベロベロに酔っていてすみませんでした。
あなたが写真の話をしてくれたから、
やはり今日ブログの更新をしようと思ったのです。
写真はレンズと仰ってましたね。
僕もそうだといいましたね。
僕に写真のことをアドバイスしてくれた人も、
世間ではそう言われていると僕に教えてくれました。
だからそれは間違いではないのです。
でも僕は思います。
レンズが写真に及ぼす影響よりも、
気持ちが及ぼす影響の方がはるかに強い。
初期衝動を失ってしまったら、
どんなにいいレンズをつけても、撮りたかったものは写らなくなります。
今の気持ちを大切にしてください。
webに上げられるのを楽しみにしています。
約束ですよ。
[PR]
by chii-take | 2013-01-20 05:54
Hello goodbye
d0105218_1531492.jpg
DT30mm F2.8 macro / SONY α700


ちょっとだけ小難しいような、
でも実はいたってシンプルで、
少しだけ不思議な文字の話をします。

【新】という文字が何を象った文字であるか、
みなさんご存知ですか?

白川先生によれば、
それは森に入って「辛(しん)」と呼ばれる針を投げて、
針の当たった「木」を「斤(おの)」で切り倒す様子を表しているのだそうです。
神さまの意向で選ばれた木を新しく切り出すことで、
「あたらしい」の意味になったのだとか…。

新しい建物を建てるとき、矢を放ってその到達地点を、
その建物を建てるのにふさわしい土地とした習わしと似ているといいます。

「あたらしい」を意味するこの【新】という文字。
切り出した「木」は何に使うのかというと、
白川先生はそれを「位牌」だと言うのです。

【親】という文字は、このとき切り出された「木」で作った位牌を
子どもが見て拝む姿を表しているというのです。

そして位牌を作った残りの「木」は【薪】として一家を暖かく包むのです。

終わりの向こうにこそ、新しい始まりがある。

白川先生の著作に触れるたび、僕はいつもそのことを考えます。

娘がすくすくと成長していくごとに、
実は僕が日々刻々と少しずつ死んでいっているのだと思います。

いえ、今日はそんな話がしたいのではなかったのです。

白川先生いわく、日本語の「あたらしい」は、
実は「あらたしい」の誤用なのだそうです。
「あらた」とは初めて生まれでること。

何かが死んでも、その墓標の向こうに、
新しい土地があり、
また新たに何かが生まれる。
失われ、奪われ続けるだけの世界ではない。
僕たちは今もまだ、そんな暖かい世界に生きています。

上の写真は僕が撮った写真ですが、
その直後、僕からカメラを奪い取った娘が撮った写真が下の写真です。
同じ日、同じレンズ。同じ設定のカメラのはずですが…。
ね。何かが死んで、何かが生まれてきてるでしょう。
d0105218_1533388.jpg
DT30mm F2.8 macro / SONY α700


[PR]
by chii-take | 2013-01-08 02:05
相似るもの
d0105218_2354389.jpg
Carl Zeiss Vario-SonnarT* DT 16-80mm F3.5-4.5ZA / SONY α100(右)


友人のFacebookエントリーをみて、やってみたくなりました。
左の写真は前にも載せたことがありますが、
2歳前後の僕(抱かれている小さい方)です。

右の写真は同じ年頃のわが娘。
左の写真や、他の僕の幼い頃の写真を娘に見せて「これは誰?」と訊いたら、
元気よく自分の名前を叫んでくれた日のことを僕は一生忘れないでしょう。
「これはパパだよ」と言ったら、
目を丸くして混乱していた娘の顔もまた忘れることができません。

生まれてすぐの頃はヨメに似ていると言われ、
僕自身もずっとそう思っていたのですが、
実家で見た古い写真をきっかけに、
生命の不思議を思った一コマでした。

白川静先生は、詩経の一節「以て似(つ)ぎ、以て續(つ)がん」を引用して、
【似】とは、「あとをつぐものは相似るもの」であるから
「にる」の意味に用いたのだろうといいます。

あまり受け継いでもらいたくないものばかり引継ぎつつありますが、
わが最愛の娘です。

本年もどうぞよろしくお願いします。
[PR]
by chii-take | 2013-01-07 00:07