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太子の耳。
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聡明な人と話をするのは楽しいものです。

僕はただの会社員ですが、
一応グラフィックデザイナーという肩書きを背負って通っているため、
会社では一応デザインの話ばかりしていることになります。

でもやっぱり話の大半はビジネスの話であって、
雑談も含めて社内における会話では、なかなかクリエイティブな刺激のある話はできません。

そういう毎日の中でときおり熱くクリエイティブの話ができる場があります。
それはどこかというと、以前にも話したことのある同僚(花咲か爺)と行く、1杯180円でラーメンが食える激安ラーメン屋さんです。


大体クリエイターという人種は余人には訳の分らないことを考えるもので、
非常に言葉になりづらいことを説明しなければならないときがあります。
そういうときは、ちょっとわかってもらえないかもなあと、
自分自身の話に充分警戒しながら喋るものですが、
この人に話すときにはそういう「壁」は一切存在しません。
警戒どころか、自分自身でどう説明しようか迷ってる段階で、
すでにこの人は僕の言いたいことをわかっているようなのです。

それは表情を見るとわかるんです。
あれ?、なんか伝わってるぞと思う間に向こうから返事が帰ってきて、
だから結局僕は何も詳しく説明しないままに、彼の的確な応答にさらされて、
それに舌をまいて、さらに深いところの話を心のおもむくままにしてしまうのです。
そうやって巷の激安ラーメン屋で一流デザイン事務所でも話題にしないような、
でかくて大袈裟でわくわくするようなデザインの話を二人で広げてしまうのです。
その時間は、それはもう何ものにも代え難い楽しみになっています。


話は変わりますが、
聖徳太子が十人の臣民の訴えを一度に聞いて、それぞれに的確な解決策を授けたという伝説を知っていますか?

僕はあれは嘘だと思っています。

大体そんな中国雑技団的な伝説を聞かされてもそんなに偉い人には思えませんし、
超人コンテストかギネスブックに載るのがせいぜいで、
「だからどうした?」とか思ってしまいます。

僕はあの伝説が本当に伝えたかったことは他にあったのではないかな、と思っています。
十という数字は日本やアジアの各国では「すべて」という意味を持つことが多いようです。
僕が思うに太子は、
どんな位や立場にある人間の話も、まるでその立場に立っているかのように的確に理解することができたのではないでしょうか?

「十人の話を一時に聞き分けた」
というのは、
「一人の人間が、すべての人々の価値観を理解して、受け入れることができた」
ということのメタファーではないかと思うのです。

価値観というのは多様なもので、
それは立場によっても様々に変化していくものです。
僕自身
「デザイナー、クリエイター」として、
「一社会人」として、
「一人の妻の夫」として、
「ただの一人の男」としての、

それぞれの価値観や言い分を持っていて、
そのせめぎ合いがあるからこそ、いわく言い難い思いを抱えてもんもんとする日々を送っています。
かろうじて「クリエイター」として共感できる人とはシンクロすることができても、
なかなか同じ人で「一人の妻の夫」としての僕を理解する人はいません。
(またそれを求めることも間違っています。例えば性別とか世代とか越え難い壁は確かに存在するのです)

でもまれに、本当にまれに、
すごく聡明な人の中に、多くの価値観に耳を傾け、それを理解して見せる人がいるのです。
僕なんか自分で言うのもなんですが、とても異端な人間だと思っているので、僕のわかりづらい話(自分でもよくわかってない話)を理解して、的確な感想をくれた人があれば、
なんと聡明な人なんだろうと思ってしまうのです。
僕の同僚(花咲か爺)はまさにそういう人なのです。

そういう人と接するにつけ僕は人の話が聞けない人間だなあと思います。
例えば僕とはだいぶ違う価値観、僕の持ってない立場を大事にする人の話は、
僕には非常にわかりづらいものです。
わからないからと言って話をしなければそれでいいのか?
といったらそんなわけはありません。
そう思っていたらどこかの国の大統領のようになってしまいます。

何より僕は表現をする人間です。
なるべく多くの人と話をし、その人の心を理解することで、
それを吸収して自分の表現に還元しなければいけません。

心を開いて、誰かの話を吸収できたと思えた夜はいい言葉が出てくるものです。
心を開いて、誰かの心にちょっとでも触れることができたと思えた日は、(自分的に)いい写真が撮れるものです。


心を開いて、自分の立場や価値観のみにとらわれず、
時には真っ白になって人の話に耳を傾けたい。
その波紋が自分という岩に触れたら、その岩がまた別の美しい波紋を描きだすはずだから。

そのことを太子は…、僕の知ってる多くの聞き上手の人は、知っているのではないかなあと思います。


憧れます。





今日はこの二文字だけ。
【聖】
もとの字は、「耳」と、「口(サイ)」と、「爪先立ちした人の形(王の部分)」
を組み合わせた文字で、
「口(サイ)」という器を使って神さまに祈りの言葉を捧げ、
爪先立って神に祈り、その声を聴くことの出来た者を表す文字なのだそうです。
聖徳太子の【聖】の字です。

【聡】
はその神さまの言葉を聡(さと)く理解することをいったのだそうです。
古事記に書かれた聖徳太子の別名、豊聡耳命(とよさとみみのみこと)の【聡】です。


ここにコメント頂いているみなさんのブログや日記、毎日拝見させていただいています。
まだまだ聴けていない部分も多いと思いますし、
そのせいで勘違いして変なこと書くことも多いと思います。
たぶん僕の聴きたい気持ちが空回りしてるんだと思います。そのときは平にご容赦ください。
なるべく心を白くして聴いていますので、どうぞこれからもよろしくお願いします。
by chii-take | 2007-05-13 07:36
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