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それは自分のためでも相手のためでもなく…
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知らないでいるということは、なんだか切ないことだけど、
知らせないということには、思いやりも含まれているかもしれない。


そう思っていました。

でも、「そんなの嘘だ」と思う今日このごろ。

話すと辛い思いや嫌な思いをさせるから、話さない…
んじゃなく、
きっと、話すと自分が辛い思いをするから、話さないのです。

ときおり、何かの拍子に話してしまうことがあるけど、
そんなとき、むかしは、「ああ、話さなければよかった」と思うことが多くて、
そうやって黙りはじめたんだけど、

最近は、「話してよかった(んじゃないだろうか)」と思うことが多くなった。
逆に人の話を聞いて「聞けてよかった」と思うことも多くなった。

「話さなきゃいけない」とは思わないけど、
聞きたいと思っていることがあるなら、
まず自分が話さないと、話してはもらえない。
話してもいいと思ってもらえない。


話すことは、聞きたいと思っている事とは、ぜんぜん関係のない事柄かもしれない。
あるいは自分が聞きたいと思っている事柄さえはっきりしない状況で、何を話していいのかわからないのかもしれない。

それでもまず、自分が「話したい」と思うことから話しはじめれば、
いつしか聞きたかった話が聞こえてくる状況になると思う。
そういう意味で、僕もまだまだ話し足りていないのだと思う。

こんなにもたくさん、
たくさん、たくさん、聞きたいことがあるのだから。
だから、
たくさん、たくさん、話したいことがあるのです。

それは自分のためでも相手のためでもなく…。
思いやりより、いっそエゴと見紛うほどのやさしい気持ちなのだと、
今は思うのです。

相反する物事はいつだって紙一重。
大事なことは、心がそのどちら側にあるか。


写真は燈花会の始まる寸前の鷺池。浮見堂会場。
上のようなことを考えながら会場を歩いていて遭遇した一コマ。
なんだかちょっと、いや、その…。
みなさんにも見てもらいたいと思える風景でした。
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by chii-take | 2007-08-15 05:03
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