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姿なきものの姿を追って
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普段電車ではあまり寝ない方なんですが、
今週は仕事がやたら忙しく、今朝は出勤の電車でたまらず目を閉じていました。
真っ暗な視界。
しばらくすると電車がカーブしたのか窓からの光で突然視界が明るくなりました。

一面が黄金のような色に覆われて、肌に温もりを感じました。
一瞬これが太陽の色というものかと思ったけど、
よく考えると瞼の内側を通る毛細血管から透けて見える血の色であることに気づきました。

あらためて太陽の色を見てみようと思って目を開けたら、
今度は車窓からとても深い色の真っ青の空が見えた。
黄金色から深い青へ。そのダイナミックなコントラストに一瞬目が眩みます。

でもどこにも太陽の色はない…。


ぼんやりと空を見上げながら、
僕は孔子のことを慕う二人の高弟の言葉を思い出していました。

一人は孔子の後継者と言われた逸材、顔回。
孔子の偉大さと、自らの無力を嘆じてこうもらしました。

「仰げば仰ぐほどいよいよ高く、その教えに深く立ち入ろうとすればするほどいよいよ難しい。
前の方に居たかと思うと、実はに後ろの方にいたりする。
私の才能を出し尽くして追いつきたいと思っているのに、
その姿をとらえることもできません」


もう一人は、孔子と顔回の亡き後、孔子学団を実質的に取りまとめた俊英、子貢。
他国の王に孔子はどのように賢いのかと訊かれて、彼は「わからない」と答えました。
それはおかしい。「わからないのに師と仰いでいるのか?」と問われ、
彼はこう答えました。

「人は誰でもみんな天が高いことは知っておりますが、
天の高さがどのようなものかは、知らないと答えるでしょう。
わたしは先生の賢さを知っておりますが、
その賢さがどのようなものであるのかは知らないのです」


思えば二人にとって、孔子は太陽のような存在だったのかもしれない。
手を伸ばしてもそこには届かず、姿を見ようにもその姿は判然としない。
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白川先生曰く、【慕】うという文字は、
上下の「艸(くさ)」の間に「日」が埋もれた形の「莫」という文字に、
「心」をつけて表された文字なのだそうです。
先生は日が沈んで心細くなって人恋しくなる気持ちを「したう」というのだと言いますが、
原初の意味は少し違ったのではないかと僕には感じられました。

午前の太陽の温もりを感じながら、
僕が探しているものも、この温もりのうちにあるのだと思ったのです。
姿ではなく、形ではなく、言葉ではなく、この当たり前の温もりをこそ僕は慕うのです。
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by chii-take | 2007-09-14 23:36
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