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いずれ忘れいくものの中にこそ…。誰も気づけ得ぬものの中にこそ…。
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「最終的にはそれがそこにあったことがわからなくなるくらいが理想のデザインだと思う。」

ある有名なデザイナーがそう言っていた。

誰だったか気になったので雑誌を片っ端から見ていったらそれは佐藤卓の発言だった。
でも探しはじめたときから考えていたのは、そういえば似たようなことを原研哉も深澤直人も言っていたなということだった。
僕はデザインを学び、仕事としてそれに従事する過程で、無意識にそれらの発言の意味をいろんな方向から咀嚼し、自分のスキルや経験へと転換していっていたのだと思う。
でも、本当の意味でこの言葉の意味するところを僕なりに理解できるようになってきたのは、ごく最近のことだと思う。

「介在していたのだと気づかぬくらいが丁度いい。」

思いやりというのはそういうものだと思う。

デザインとは思いやりか?
=(イコール)ではないまでも、僕にとってそれは「そうだ」と言ってしまってもいいほど近いものだ。
バレてしまった時点で、思いやりはなんだか少し、ただ小っ恥ずかしいものに変わってしまう。
おせっかいと思われてやしないかとか、あれはどう思われているのかなとか、本題とは違うことが妙に気になったり。
すべての思いやりは気づかれぬままに過ぎ去っていくのがいいと思う。
ほんの少し切なくはあるけれど、そうでなければ、気持ちは純粋さを失ってしまう。


いずれ忘れいくものの中にこそ…、
誰も気づけ得ぬものの中にこそ、大切な事柄は潜んでいる。
僕はそう思っている。

でも、
本当に誰も知らないものなのかな?

いいや。
人間の脳味噌はちゃんとわかってくれていると思う。
偉大なる無意識には、目に見えぬものこそ敏感に察知する感覚が備わっている。

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ある近隣の町で毎年夏に開催されるという小さな平和のイベントがある。
図書館での読書会や映画上映など行政主導の催し。
おそらく子供たちに平和の大切さを知ってもらうための企画なのだろう。
僕は会社の仕事でその催しの広報のためのアイテムを作らせてもらった。
僕は底抜けに明るい爽やかな写真を使って、それこそ平和ぼけとはこういうことだと言えるくらいの爽やかなイメージで紙面を彩った。
小さな町の小さな子供たちに向けたごくごく小さなイベント。
そのささやかで繊細な祈りには過激なアピールは似合わない。
僕は“平和という理想の状態”をイメージして、いくつかの写真をコラージュして“凪の風景”を描きはじめた。

でも心のどこかでは激しい感情が蠢いていて、
違う。戦争と向かい合うって、こんなことじゃない。
と思っていた。
幼い頃、図書館で眺めた戦争の写真はけして美しいものではなかった。
でもそれをそのまま、悲惨さを悲惨さとして提示することがデザインではないということも僕は知っていた。

だから、実際に紙面に使用する明るくやさしい写真をピックアップする傍らで、僕は原爆の傘の写真を何枚も用意して、その写真を見ながら紙面を作ることにした。
そうでもしなければ、僕は誠実に戦争や平和と向い合うことができなかったから。
その上で、目に見える本当の風景は(たとえ写真でも)、僕の中に閉じ込めおくことした。
出してはいけないし、もはや出す必要もなくなったものだから。


ある町の担当の方にはとても気に入ってもらえたということを僕は会社の営業の人伝い聞いた。
でもたぶん、
その担当の方は、僕がどのようにしてその底抜けに明るいイメージを描き出したのかを知ることはないのだと思う。

でもたぶん、
それでもきっと、
気に入ってもらえたことには、僕が原爆の傘を見ながら作ったことが少なからず関係しているのだと思う。
その人の脳みそはそのことをちゃんと見抜いているのだろうと思う。
願わくば、そのことがそれを目にするであろう子供たちにも伝わればいいなと思う。
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ねえ、
ときおり、わけもわからず悲しくなるのは、そのものに宿されていながら忘れ去ってしまったもの、気づけ得ぬものの記憶を、脳みそが知らないうちに読み取っているからだと思わない?


知らないところで誰かが流している涙を、実は僕たちはちゃんと知っているのだと思う。


ありとあらゆる表現に触れているときに(たとえそれが建築や工業製品であろうと)、
なんだかわけもわからず感情が劇しく揺れ動くことがあると、そこに誰かのデザインを感じて、僕は時折無性に嬉しくなる。



風のように、空気のように、流れているデザイン。
誰も僕を知らない。誰もあの人を知らない。それくらいが、本当は丁度いい。



嬉しくて、同時に切ない。
でもときどきは、やっぱり会いたいよ。知りたいよ。
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by chii-take | 2008-06-12 00:55
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