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拝啓 白川先生
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随分前の話ですが、大学時代に学科の選択科目で論語についての講義を受けたことがあります。
毎週末夕方、他から招いた非常勤講師による授業はとっても人気がなくって、聴講者は僕をいれて2.3人だけ。ときにはマンツーマン。贅沢な講義でした。
通っていたのが芸大であり、一般教養ではない学科専門の授業で「論語」というのですから、さもあらんと言ったところです。
当時の学科長の個人的なこだわりで組まれたカリキュラムだったわけですね。
(もうひとつそんな感じで古墳発掘の講義も受けたのですがその話はまた別の機会に…)

その講義の中で出会ったのが孔子の考え方を入り口にした古代中国の儒教思想であり。それを理解するための“手引き”となっていたのが白川静先生の(漢字の原初の意味を探る)漢字学だったわけです。

白川先生は甲骨文字や金文、篆文の字形を研究しながら漢字の成り立ちを推察し、「字統」「字訓」「字通」の3つの辞典にまとめあげて漢字研究の第一人者となられた方です。

幼い頃から「なぜなに少年」だった僕の、抱えきれないほど膨らんだ多くの疑問に、漢字の意味を通してすっきりした答えを用意してくれた白川先生の手法はもう魔法のようなものでした。

孔子の教えは、「とにかくこうでなくてはならないよ」という有無を言わせぬ厳格なものがほとんどなんですが、白川先生の研究を元に論語を紐解くと「これがこうだから、こうでなくてはならないよ」というふうに事情を理解できるようになり、その変化は塞き止められていた溜まりが心地よい清流の流れに変わるような、そんな経験でした。
一年を通して窓の外から感じられた四季の移ろい、それを肌で感じていた古代の人の感性が漢字を通して、論語を通して伝わってくるような、そんな講義でした。

その感覚を再現することがこのブログで僕がやりたいと思っていることのひとつです。

丁寧に教えていただいたその非常勤の恩師のお力は借りれませんが、白川先生と孔子のテキストがあれば、僕にもできるかもしれない。その思いから多くの引用を使って言葉を綴っています。
写真は、受講当時の窓の外の移ろいの替わりになればいいなあと思って掲載しています。本文との関連はきっとありません。
今僕が見ているものです。


一年の講義が終わろうとする頃、その非常勤の先生から
「いつか君と二人で酒を呑みたいなあ」と言われたのですが、
当時非常につきあいの悪かった僕は、色よい返事ができませんでした。

なぜ

「行きましょう!。いますぐに」

と言えなかったのか、
今それがかすかな後悔です。
# by chii-take | 2007-02-15 12:32